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マンドリン回想録 参拾壱 ~2007年度合宿~
またしてもだいぶ間が空いてしまいました。
いよいよ私の青春の最大の山場、2007年度定演を迎えます。
2017/01/27 (Fri.) Comment(0) マンドリン回想録
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マンドリン回想録 参拾 ~2007年度定演練~
なななんと!! あのマンドリン回想録、最後の更新から実に5年半の沈黙を破って復活であります!!!
始まったのはいつかって2008年12月1日。実に7年半も前のことじゃないですか。本当は3年半のマンド人生を半年ぐらいで振り返る企画だったんですが、いつのまにか大学生活2ラウンド分ぐらいの時が経過してしまいました。もはや2年生だったのが10年前です。時の流れは過ぎ去っては元に戻らない……
目標としては2018年12月までには終わりたいですね!
というわけで、前回の予告で「次回は2007年度定演練(安田練~合宿~市大練あたりまで)の様子をお送りします!」とのことでしたので、そのへんを振り返っていきたいと思います。
振 り 返 れ る の か ?
なんかつい2,3年前のことを話すみたいなノリですが、もはや9年経ってんだよ。
2016/07/13 (Wed.) Comment(2) マンドリン回想録
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マンドリン回想録 弐拾九 ~2007年度上半期~
回想録書き始めてとうとう丸2年が経過。半年ぐらいで終わる予定がこれだよ! てか3年半を振り返るのに2年もかけてどうすんだよ! というわけで足早に行きましょう。箇条書きでパーッと行きます。
指揮コン(3月下旬~4月上旬):
・初の選曲会議を導入
・そのくせ私が気に入らなかったので汚い手を使って曲を変更
・しかも難曲を選んでしまい、裏目に出るカスっぷり
・奏者も指揮者候補生もマトモに弾けない / 振れない最悪の事態に発展
・でも結局のところ演奏結果はあまり関係なく、面談でd々に決定
クラブ紹介(4月初旬):
・昨年度定演で振ったGアリ(*1)を演奏
・そこそこの完成度だったがそれが裏目に出たらしく、稀に見る凶作
・もみあげ野郎が入部
新入生歓迎会(4月下旬):
・安東あたりのお好み焼きにて
・ドリンパに入った王子様のような男子が大人気
・s水の高校時代の同級生(1浪)も入部
・上記2名、やがていなくなる
・もみあげ野郎だけが残る
他サークル(主に吹奏楽部)との合同野外コンサート(5月中旬):
・LDFリーダーが主催
・修道マンドリン部にも来てもらう
・マンドリンオケの野外での能力の限界を思い知らされる
新歓演奏会(5月下旬):
・史上稀に見る険悪な雰囲気に
・アンコール放棄
・m田と私の間に軋轢
・もみあげ野郎が丸本大悟ヲタクに
定演(第10回記念)にOB/OG出演させるか否か論争
・賛成派:OBのおかげで今がある、感謝を表して出演してもらうべき
・反対派:練習あまり出られず合奏を乱すおそれあり、
また連絡がつく人とつかない人がいて不平等になる
・私は賛成。合奏崩壊が怖いならOBステージを設ければいい。
連絡はハガキとメール・HPで行い、連絡先が変わったらしょうがない
・結局OB /OG出演は見送り、サーセン
定演選曲会議(7月ごろだっけ):
・五大全体の選曲会議自体を初導入
・しかし他大学にデジタル音源が普及していなかったため,候補曲出ず
・市大がプレ選曲会議によって決めていた曲目に決定
・演奏許可申請・取得、楽譜購入、写譜
・しかし不当な再審請求を突きつけられ、3曲中2曲を変更するハメに
・演奏履歴の少なめの渋い邦人曲(*2)をやっとの思いで発掘し
さぁやるぞと意気込んでいた俺涙目!
その後:
・夏休みごろまで廃人になっていました。
この時期は人間関係に問題が生じ始め(まぁ元から問題だらけだったけど)、ストレスが急増していった頃です。自分もひどい目にあったし、他人にもひどいことをしました。最悪な指揮者だったと思います。
しかし運営幹部学年として実権を握り、色々な責任を負って仕事をこなしていく日々は、非常に楽しくもありました。人生の師・i 尾さんが常々おっしゃっていた「新しいことをしなきゃ意味が無い」を実践しようと奮闘したつもりです。選曲会議制度と著作権コンプライアンスの導入は、僕が残した数少ない仕事の一つだと思っています。
政治的(?)な面以外でも色々な出来事があり、こんな状態で1ヶ月ぐらい廃人になったこともありました。波乱の日々でしたが、今振り返ると何とも楽しそうであります。
次回は2007年度定演練(安田練~合宿~市大練あたりまで)の様子をお送りします!
*1…BWV1068 管弦楽組曲第3番より第2曲“アリア”,18世紀,J.S.Bach
*2…“絃楽の為のトリステ”,1984年,柳田隆介
2010/12/05 (Sun.) Trackback() Comment(3) マンドリン回想録
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マンドリン回想録 弐拾八 ~第40回中ブロ合宿&本番!~
時は2007年3月21日。広島国際会議場フェニックスホール。実に第40回目という歴史的演奏会、全日本学生マンドリン連盟中国ブロック定期演奏会の本番が開かれようとしていた……
2010/08/02 (Mon.) Trackback() Comment(3) マンドリン回想録
2010
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マンドリン回想録 弐拾七 ~CONCERT1961,そして中ブロ~
2年の春休み。時は中ブロ。ボクらは決死の期末試験を終え、LDFも解散し、とりあえずひと段落といったところでした。そんな折、中ブロ曲が決定。
広大曲 : 小林由直,「星の庭」,1985年(2003年改),ノートルダム清心女子大学 初演
市大曲 : G.マネンテ,序曲「メリアの平原に立ちて」,1909年, Il Plettro 第2回作曲コンクール
指揮はy内さんとn木さん。前年の新人と同じコンビです。大学の組み合わせは微妙に違いますが。五大-県大+広大という組で、今思えばちょっと珍しいですな。
この回は広島ホストということで、パンフの広告取りなんぞに精を出しておりましたな。ボクは広島c央自動車学校様に「自動車免許取得のため入校する」という条件で2万円分の広告を出していただきました。この涙ぐましい交換条件! もちろんちゃんと半年後には入校しましたよ。
あとこの頃は気胸がひどかったですね。ちょうど試験終了直後、今からさあ打ち上げだーというときにドーン!!と来ました。1週間ぐらい虫の息でしたよ。今となってはいい思い出です(良くはないか)。
さて!そんな折、あの伝説のコンサートが開かれました。そう、CONCERT 1961です。加賀城浩光先生・小林由直先生・吉水秀徳先生という現代日本マンドリン合奏界を代表する御三方が新曲を発表するスペシャルコンサート……激アツです。どれだけアツかったかは過去の記事[1][2]を見てください。
帰り際、工大のナガマンさんは何と加賀城さんのサインもらってました!凄過ぎる!!むはぁ~とにかくマンドリン界の現人神が降臨した凄まじいイベントでした!!!
とのこと。興奮が伝わってきますね! とまぁ演奏会は大変な盛会となったんですが……
この後、 i 尾さん、ボク、ナガマンさんで飯を食ったんですよ。そこで i 尾さんの口から、驚くべき真実が語られました……!
i 尾さん「n木が留学するかもしれん。せやけん来年3部はテツオに振ってもらうことになるかも」
な、なんだってーー!!
まさに衝撃の事実。この瞬間から、4年をトップに指揮するのやりづらいだろうなぁ…とか色々な懸念が脳裏に渦巻き始めました。しかしそんなの無理だー!とは思いませんでした。3部指揮…やってやろうじゃないか!と、むしろ自信に満ち溢れていたと言えるかもしれません。それだけ自信過剰だったのです。
まぁそんなわけで来年度への多いなる伏線を張ったまま、中ブロ練は始まりました。練習場所は広大・市大半々ぐらいでしたね。AtoCカーのお世話になりました。
そういえば大合同はあの f 掛先生のあのPastrale Fantasyだったんですが、ボクは合宿には参加しませんでした(本番には出た)。過去の記事[3]によると、
今日からマンド合宿です。しかし私は行きませんでした。なぜなら
①金が無い ②体力が無い ③3日間F掛廣幸作品にどっぷり漬かるのは耐えられそうにない からです。
とのこと。まぁそうですね。当時は f 掛先生作品嫌いがピークな時期でした。今でも好きではないんですが、当時は特にひどかった。酷評していた。おかげで後輩にも影響を与えてしまったかもしれません。反省すべきことです。でも、好き嫌いを持つというのは大事なことだと思います。
そんなこんなで練習は淡々と進んで行きました。メリアのGmのセコを力みすぎて血出したりしましたが、今回は指揮者でもトップでもないということでホントに何の苦労もなく、皆々様の指示・運営に乗っかって黙々と演奏するばかりでした。ああ、蠅さんをしごいたりしているうちに安部・蠅ホモ説なんてのも浮上しましたね。あれには憤慨しました。まぁ疑われてもしょうがないぐらい異常に仲良かったですけど。でもホモじゃないですよ。
というわけで次回は恐怖の本番の様子をお届けします。ベベーン!!
2010/05/13 (Thu.) Trackback() Comment(7) マンドリン回想録
2010
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マンドリン回想録 弐拾六 ~さよならLDF~
さて、2007年1月。新人撰が終わり、世の中は期末試験の季節なわけですが……
我々LDFは、留年の危機に瀕していました。皆、あと4個落としたら留年とかそのぐらいのレベルだったように思います。4個落とせば留年するのは当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、余裕のある連中は10個以上余裕があったりしていました。4個落としたら留年。この重みとスリルは、味わったことがある者でなければ分かり得ません。
そんな極限状況の中、信じられないことにリーダーはライブ話を持ってきます。その日取り、何と1月28日。期末真っただ中じゃねぇか!! しかし我々は出演を決意します。日曜だったので試験とかぶることはない。練習や勉強は前もって計画的にすればいい。LDFはそういうふうに都合よく考えるのです。
斯くして練習が開始されました。基本的には学祭でやった曲を再演するだけなので、合わせ練だけです。しかしこのころ、ボクはバンド活動を持続するエネルギーを急速に失っていきました。もういっぱいいっぱいだったんですね。マンドリン部のほうが大事だし、勉強もバイトもあるし1年後には就活もあるし。他メン(リーダー以外)もいっぱいいっぱいなのは同じで、もはやリーダーという牽引力なしには、いつ空中分解してもおかしくない…そんな状態でした。
こうした兆候はリーダーも察知していて、だからこそこの極限日程ライブを持ってきたのかもしれません。彼は彼なりにこのバンドに人工呼吸を施し、延命しようと必死だったのです。
しかし解散のときは訪れます。ライブ本番前夜、ボクとリーダーはメッセンジャーで会話しました。やがて話題はLDFの存続意義のことになり、ボクは脱退も考えているということを伝えました。すると
リーダー「じゃこの際、解散にしましょう」
リーダーから提案された、LDF解散。ボクは正直、少し戸惑いました。抜けるのはボクだけでいい。ベースは代わりを持ってくるなり打ち込みでやるなり、どうにでも出来るんじゃないか。と、解散までは望んでいませんでした。しかしそれは勝手な理屈です。俺は辞めるけどお前らは頑張れって、そりゃ無いよね。
その夜遅く、リーダーより明日の日程確認MLが流されました。解散の旨はまだ他メンには告げられません。しかし、メールの最後には「みんな今までありがとぉぉォオオーー!」と、解散をほのめかす言葉が記されていました。
ちなみにライブ前夜サイバ日記。
余裕の無さが窺えます。いやーギターです。明日はライブです。正直しんどいですなぁ。レポートも終わりそうにないですよ。困ったことに家でプログラムを実行したら実行結果変わっちゃたよ。ざいあく。こりゃ再レポするしかないです。そしてテストの方もなかなかのボリュームですな。ていうかTル先生の授業難しいよ;あれこそ自己満足だろ。彼の…。あぁー、大学のテスト勉強難しいよ。(以下略)
ライブ本番当日。広島駅近くの某Mという音楽スクール(リーダーがヴォーカルレッスンを受けていた)主催の、素人バンドを集めたライブでした。ボクらは少し音出しをした後、たしか駅前福屋のレストランで昼食、そのまま明日の試験勉強をしました。サイバさんだけ勉強道具を持ってきてなくて「……」みたいな感じになったのを覚えています。
そしてその場で、リーダーの口から解散が告げられました。
リーダー「我々LDFは…本日のライブをもって……解散します!」
サイバ「えっ……」
彼は大声こそ発することはありませんでしたが、その動揺は表情から見て取れました。AtoCは猛反対はしないものの、「細々と続けていけばいい」と縮小存続を口にしました。みんなこのバンドを愛していたのです。しかし、解散の決定が覆ることはありませんでした。
ボクらの演奏は練習不足の甲斐あってgdgd、おまけに言い訳をする始末で、PAのおじさんに嫌味を言われました。終了後は打ち上げに行くでもなく、試験勉強に励むためとっとと解散・帰宅。これがLDFの最後でした。その後、ブログにてメンバそれぞれの視点から解散が語られました(1月28~30日の日記参照)。
しかしLDFはその後も、飲み会やブログ執筆などの精力的な活動を続けます。飲み会の会場は主にH蠅家。そう、この習慣がカス会の母体となったと言われています(違うか)。そしてブログは、現在に引き継がれています。LDFは今も、人々の心の中で生き続けているのです。
おっと!マンドリンと何の関係もない! これはいけません。この頃はというと、まぁ中ブロの準備期間ですな。組み合わせは市大・広大・工大・安田になりました。今思えば珍しい組み合わせです。あとCONCERT 1961についても語らねばなりますまい。
というわけで次回はCONCERT1961~第40回中ブロ!
2010/04/23 (Fri.) Trackback() Comment(0) マンドリン回想録
2010
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マンドリン回想録 弐拾伍 ~新人撰,転パ,古城,蠅トップ,ドゥルルーン~
というわけで今回は2006年度 第37回だっけ?新人撰のもようをお送りします。
まず組み合わせについてですが、これは以前書いたとおり
1ステ : ☆修道,☆安田,県大,工大
2ステ : ☆市大,☆広大,女院
となりました。☆は指揮校。いろいろモメたがまぁいちおうこういう形で収まりましたよ。
さて次に、ギターへの転向…というか浮気を語らねばなりますまい。
何しろギタパというのは非常に居心地がよい。
さらにこのとき、ボクはある人事的英断を下します。蛮勇とも言えるかもしれない。そう、
これにはある狙いがありました。今まで一ヒラ奏者としてあまり合奏に寄与してこなかった蠅さんに、自主性と責任感を持ってもらうこと。しかし蠅さんは1回目の練習でやらかします。(後述)
で、次に気になるのが曲ですが、フィリオリーニの歌劇「古城の物語」より交響的間奏曲を選びました。一昔前は演奏機会も多い有名な曲だったそうですが、最近はあまり聞きません。
選んだ理由がまたひどい。楽譜庫を「あ行」から順番に見ていき、「こ」のところで古城の物語を発見。そのロマン溢れるタイトルに惹かれて即決。難易度もほとんどチェックしませんでした。イントロのテンポがレントだったのでああこりゃ行けるだろと。その結果ギターは結構難しく、ドラ・チェロも高速半音階上行などヤバげな箇所が盛りだくさんであった……
いっぽうペア指揮校の広大曲はフィリッパのポルカ「還俗修道士」。難易度的にも弾きごたえ的にも極めて新人向けの、コンパクトで秀逸なチョイスでございます。指揮はボスことm野さん。ドSで有名な……(ry
というわけで定演が終わったのも束の間、すぐさま新人練が開始。たしか平日は各大学で個別練、土曜は主に女院で練習という感じでした。
ところが第1回合同練、事件が起こります。ギタートップ(蠅さん)、なんと遅刻。しかも5分や10分ではなく、たしか2時間ぐらい……厳重注意です。しかし蠅さんの伝説はこれだけに収まりません。本番ではもっとやらかしてくれました。そう、あの有名なドゥルルーンです。
歌劇「古城の物語」より交響的間奏曲、実は曲の1/4を占めるイントロ部分が中低音パートのソリなんですね。特に頭はギターとコントラバスのユニゾンから始まり、非常に重要な部分。まぁ単音かつレントなので1年生でも初見で弾けるくらいのモンだったんですが、何せプレッシャーに弱い蠅さんのこと。万全を期すため、ボクらは計100回ぐらいサシで練習しました。ところが……!!
2007年1月6日。キンキンに冷えた市大講堂にて、第37回新人撰本番が幕を開けました。1ステが終わり、2ステ開幕。ボクにとってはギタパとしての初ステージでしたが、特に気になる失敗もなく順調に行きました。
そしていよいよ古城の物語…緊張の一瞬です。蠅さんとn本さん(女院, Cb.)のユニゾン。震える蠅さんの指が旋律を紡ぎ始めました。
ミソーーファーード#ドゥルミリィィーーーーン……
はい、見事なグリッサンドがかかってしまいました。これがあの伝説のドゥルルーンです。テンパって思わず弦ではなくポジションを移動してしまったのでしょう。これは指番号・弦番号を指定してなかったボクにも責任があります。蠅さんは恐怖のあまり、この音源を1年半くらい聞けなかったという……
そんなわけで悪夢の本番は幕を閉じました。実際、音源聞いてみると粗さが目立ちますね。他の曲と比べても。ドゥルルーンが脚光を浴びがちですが、ボクの指揮者としての稚拙さも浮き彫りになっている反省の一曲です。
でも親睦会や打ち上げ等のイベントは実に楽しかったですね!! 宴会部長・蠅さんの手腕が遺憾なく発揮された結果となったのでしたー!
次回、LDF解散の巻!
2010/04/22 (Thu.) Trackback() Comment(5) マンドリン回想録
2010
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マンドリン回想録 弐拾四 ~第9回定演本番!② k川さんの涙~
前回からの続き。ようやく06年度定演が終わります。入学からの1年半を描くのに1年数カ月かかってしまった……
いよいよの3部。師匠 i 田さんの登場。第1曲目は「セビリアの理髪師」! パンッパーーーーン!!と景気よくオケが吠える…! ピックが折れまくった重音ストロークとか「やめてけれ」と聞こえるモチーフとか、懐かしいです。てかこの「やめてけれ」ってy廣がいきなり独自に言い出したのかと思ったら、昔から有名なネタなんですね。まぁそれはともかくガシガシ弾きまくった1曲。
i 田さんはメリハリの無い演奏をとにかく嫌い、かなり厳しいパフォーマンス品質を奏者に要求しました。そういう妥協の無い姿勢がボクは大好きで、どんな過酷な訓練にも耐えるドM体質になったのです。もっとボロクソ言ってほしい、と。
3部2曲目は「巡視隊のセレナータ」でした。この曲は楽譜が届くのが相当遅かったので、なかなか苦労しましたね。楽譜来たの10月半ばぐらいじゃなかった? 「図々しいぐらいに情熱的なイタリア男を表現してほしい」という指示が印象的でした。 i 田さんはこういう部分的なストーリー付けというか比喩が非常に上手かった。なぜボクはこれを受け継ぐことができなかったのか。悔やまれます。
そしてトリ、望郷。ボクが現代音楽に目覚めるきっかけともなった曲です。真冬の吹雪を思わせる厳しい第1主題、宇宙空間を漂っているような現代的な部分、複雑怪奇なかけあい、全体に執拗なまでに散りばめられ繰り返される第1主題のモチーフ。その何もかもが厳しい練習とともに心に焼き付いております。
しかし最も注目すべきはやはり、k川さんの涙でしょう。
ボクは見ました。激しいプレストを経て望郷が終わり、i 田先輩がお辞儀―花束を持って駆け寄るギャラリー。その喧噪の中、左手で1回だけ目の端の涙をぬぐうk川さんの姿を……!
k川さんはこの年の3部ギター首席。とても寡黙でクールな男として知られていました。YAMAHAの安いギターを頑なに愛し、首席というよりも独奏者としてのキャラクタを確立し追い求めた、孤高のギタリストであります。高校時代より作詞・作曲・歌なども手掛けるフォーク畑のギター人。今は仕事をしつつ趣味にどっぷり生きられ、My Spaceで自作曲の公開なんかもされてます。
というわけで終演。あ、アンコールは i 尾さん編曲・コブクロの「桜」でした。この編曲は非常に秀逸で、後にかなり再演されてます。Finaleも無しであれだけのものを書いたのはすごい!
で、みんなが大団円を迎えている中、やはり今年もボクは搬出係なのでした。搬出チーフのn木さんにジュースおごってもらったのが記憶に残ってますね。あと i 尾さんのお母様に会えたことも。その後はブルームーンにでも行ったんじゃなかったかな。
そのころからボクの中で、「勝ち組」「負け組」の概念が少しずつ形成されていった気がします。がんばっても報われないのが負け組。それが「MP」という形で表面化するには、もう1年待つこととなる……。
次回は新人撰の練習~本番あたりまで一気にイクんじゃないですかね。では。
2010/04/20 (Tue.) Trackback() Comment(7) マンドリン回想録
2010
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マンドリン回想録 番外編 ~妄想に終わった楽譜・音源管理システム~
久々にマンドリンネタ。番外編。
本編は06年度定演で止まってますが、さっきHDDを整理(でもないけど)していたら懐かしいものが出てきたので掲載します。その名も楽譜・音源管理システム。これは2年の後期ごろに作ろうとしていたシステムで、完全に企画で終わったパターン。ボクにはよくあることです。 HTMLタグで作った登録・検索フォームのスクリーンショットがこれ(図1~3)。
ほんとに入力フォームだけで、中身(プログラム)はまったく無し。とりあえずカタチから入るタイプだったんですね。そして難易度選択はこんな感じ(図3)。
Arsnova級というのが何とも実用的ww
しかしこんなことに時間を費やせたというのが羨ましいですね。まぁこれしかやること無かったんでしょう。ここまで本気になれるのはすごい! 部活への愛がなせる技…のはずです。
ちなみに開発用ドキュメントは以下の通り(長いのでつづきへ)。Wiki方式(暇人が寄ってたかる方式)で開発を進めようとしていたようです。
2010/03/07 (Sun.) Trackback() Comment(0) マンドリン回想録
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マンドリン回想録 弐拾参 ~第9回定演本番!① 本番de寝坊~
まぁそんなわけで迎えた第9回定演本番。私はもちろん搬出係。しかしこの年、私はこともあろうに寝坊してしまったのです。シンジラレナハーイ。3重くらいにアラームをかけておったのですがすべて突破(スルー)してしまいました。でも、奇跡が起きたんです。何と、Oじゅん先輩(市Ma.,05年度卒)からメールが!!
2010/01/03 (Sun.) Trackback() Comment(5) マンドリン回想録