2024
11
21
2009
04
24
ボクとリーダーとしのっちによる三楽章プロジェクト始動
どうも、abeです。お元気ですか。
先日、ボクとリーダーとしのっちによる三楽章プロジェクトが始動しました。その名の通り、ボクとリーダーとしのっちが共同で三楽章の楽曲を創作しようという企画です。1人が一楽章ずつ作曲を担当します。1ヶ月計画で5/21に完成予定。まずは共有のモチーフを決めるため、次の火曜にモチーフ案を提出します。
しかし作曲って難しいですねぇ。曲の断片(4小節程度のメロディと和音)なら思いつくんですが、それを成長させてオーケストレイトする過程が難しい。実装どころか設計までも行かないという感じです。んでせっかく苦労して作っても、どっかで聞いたことがあるような……これは音楽の限界なのだ!すべてのメロディは作られつくしたのだ!と思ってみたり。まぁ最初から上手く行ったら苦労せんわね。
ところで音楽には調性というくくりがあって、多くの音楽はその中で作られますよね。で、このくくりの外にあるのが無調の音楽。調性から開放されることで音 楽の可能性を広げようということです。しかしながら不思議なもので、無調の音楽ってどれも結構同じように聞こえる気がしませんか? 「調性」という特殊な集合の外には無限の可能性が広がっているはずなのに、意外と多様性が無い。むしろ調性音楽のほうが豊かで多様に聞こえる。なぜなんで しょう?
やはり人間の感覚というのは、「秩序」のあるものに対して高感度になるんじゃないですかね。たとえば、ノイズについて考えてみましょう。ノイズってホワイ トノイズやらピンクノイズやら色々ありますよね。でもその違いは我々にはあまり分からない。どれも同じような、ただのノイズに聞こえるわけです。でもこれ が周期性や規則のある音だったら? たとえばヴァイオリンの音など。これに対しては、人間はとてもセンシティブになります。ちょっとしたピッチや音色の変化も感知する。
ということは秩序を緩くすると、逆に(人間にとっての)多様性を失うということですね。人間は無秩序なものをフィルタリングして一つの無秩序なものとして 見てしまう。まぁもちろん見方次第ですけども。ボクも現代音楽を初めて聞いたときはどれも同じに聞こえましたが、やがて少しずつ多様性を見出せるように なってきました。いやほんとに少しですけど。
逆に言えば、世界は、秩序を与えられる(あるいは見出す)ことによって狭まり、多様性を持つのです。きっと。でもその秩序が厳しすぎてもまた多様性を失 う。例えば鍵盤の黒鍵を使用禁止にしたら、作れる音楽は少なくなると思います。その加減が難しく、これまで様々な探求が試みられてきたのでしょう。調性か らの開放もその一つ。
今日もまた書くにも足らぬ戯言を延々と繰り広げてしまった。部屋の片付けでもするか。あ、waltz for youの直筆譜(笑)をうpしましたので、暇ならご覧ください。
2009/04/24 (Fri.) Trackback() Comment(0) 音楽
Comments
Trackback
Trackback for this entry: