2024
11
21
2016
04
30
がんばれアヘ きらきら道中〜僕が無職になった理由〜(1)
2016年初頭、無職率75%という驚異の水準をマークしたLDF。
さて、僕が無職のうちに転職までの顛末を書いておき…たかったのですが、だらだらしてたらすぐ無職期間終わっちゃって仕事の日々に突入してしまいました。のでGWの今のうちに書きましょう。
そのうちリーダーやサイバのエピソードもポストされることと期待しています。
きらきら内定~入社
メーカー本体3社から内定もらって好きなとこ選べるという、リーマンショック後の荒れ果てた世界にしてはまぁわりと恵まれた結果に終わった学生時の就活。なぜ敢えて3社の中で最も小さいS社様を選んでしまったのでしょうか。
・ 極度の安定志向だったため農業機械なら安泰と思った
・ ひねくれ者だったのであまり人が行きそうにない業界を選んだ
というところだったと思います。んもーおバカ!
で、入社して3年ぐらいの間はまぁそれなりに楽しくやっていました。組み込みシステム開発部門に配属され、FPGAやらマイコンやら統計解析(もどき)やらといったことをやらせてもらいました。正直、学部生のころの自分が見たら泣いて喜ぶような、興味と専門にかなりマッチした仕事でした。
2年目からはわりと頻繁に海外出張に行くチャンスもありました。この会社規模にしてはかなりは多く、最終的に韓国5, 6回、中国2回、タイ2回、フィリピン1回…と、いろんなところに行かせてもらいました。これらも非常に大きな経験となりました。
現実との対峙
しかし同時に、会社の悪いところ・嫌なところがどうしても目について、だんだんと不満が蓄積していきました。以下のようなものです。
・ 会社の体質が非常に古い。完全な上意下達組織で、上層部からの無茶なコマンドが中間管理職でバッファしきれずそのまま現場の人間に降ってくる。(そして上層部は60~70代)
・ 給料が泣くほど安い。初任給は他社とさほど変わりないが、昇給レートが滅法低い。非管理職なら20代も40代もほぼ変わらない。管理職になったとしてもまぁ安い。新聞に出てた県内各社ベースアップ額とか見たら、うちだけまさに桁違い!ゼロが1個足りない!恥ずかしいから載せないで!
・ 共産主義。どんなに評価されていても結構な年齢になるまで管理職になることはなく、つまり給料はほぼ上がらない。また評価基準が極めて不透明である。偉い人に気に入られた人間が偉くなる。
・ 研究開発をしない。表向きは技術の会社と謳っているが、開発部門が行っているのはほぼ既存製品のマイナーチェンジであり、重要な技術課題を根本から解決・改善するための取り組みはしない。(そうしたいと思っている技術者はたくさんいるが、やらせてもらえない)
・ それゆえ、前例の踏襲を前提としてテキトーに物を作る(設計する)傾向があり、理論的に設計したり試験結果を統計的に正しく評価したりできる人があまりいない。一般論というか教科書的な知識・知見を軽視(どころか否定)する文化がある。そりゃエンジニアは育ちませんわ。
・ マーケティングをしない。技術部門のえらい人が「マーケティングなんかしても意味は無い」と公然と言い放つ。まさにそういう姿勢が日本の製造業を凋落させたんですけど……それで家庭用何たら機みたいな誰が買うんだよ!?ていうものを作る。
・ 品質を重視しない。特に設計の品質を軽視するため、設計段階での検証が不十分になり、製造工程で解決できない不具合がたくさん生まれ、大量のクレームを発生させる。
・ 顧客を重視しない。なのでマーケティングをせず、顧客が望んでもない製品を作り、良い意味で枯れていた既存機種をラインナップから消し、そして品質を重視せずクレームを多発させる。というか、顧客を実験台にする。
・ にもかかわらず外面だけは非常によく、内実を知らない人からは福利厚生の充実したホワイト企業だと思われている。
つまり、顧客も従業員も大切にせず、経営者は経営者とその外面のみを大切にしていたんですね。
いやぁ~本当に愚痴ばかりになってしまいましたが、私だけでなく同期や先輩方も概ねみんなこういったことを感じ、常々愚痴り合っていました。会社方針や待遇に満足している人は少なかったです。あ、えらい人たちは満足してたんじゃないですかね。生き生きとしてたし。
そんなふうに、入社3年を過ぎた頃から徐々に転職の2文字が現実味を帯びていったわけです。
長くなったので次回に続きます!
2016/04/30 (Sat.) Comment(0) 就活
Comments